さて、また出番が回って来ました。案外早かったですね。
前回日記が日毎に書けなかったんでもういろいろルーズになっちゃっていいかなーとか思ったんですが、やっぱり日記は日記なものですからなるべく日毎に書くことにします。
でも、あの書き口はもうやりません。最近限界を感じ続けてたんですよね。正直書いてて疲れるというか、なにが悲しゅうてわざわざ敬語でもないく口語でもない似非敬語つかってネガテブな話せにゃならんのかと。
限界といえば、少し前にミスター・ビーン役の俳優さんがあの役演じてられっかということであの役をやらないと宣言したそうですね。50過ぎの大人が子どもじみたキャラはキツイだろうと。
まあ、私見たことないんですが。
それにしてもそれなりの長い期間続けてらっしゃったんですから、お疲れ様です。
そんな感じでねぎらってみたわけですが、ふと思うと勤労に感謝というのもおかしい話です。勤労なさった方に感謝するにしたって被扶養者はともかく、自分も勤労している人間が他の人間の勤労したことに感謝したところで大体の場合はその人は感謝した人のために仕事をしたわけでもなく、身に覚えのないことを感謝されるわけですからいわば感謝の押し売りです。ましてや文字面で見れば「勤労」に感謝するわけですから、ヒトですらないものに感謝するその姿は一歩間違えれば新手の宗教団体かなにかと間違えられそうなほどです。「働かせていただいてありがとうございます!!働かせていただいてありがとうございます!!」今日もそんな声が聞こえてきます。ああ、やめてくれ楽しんでなど居るものか。「働かせていただいてありがとうございます!!働かせていただいてありがとうございます!!」サービス残業なんて欲しくないんだ帰らせてくれ。「働かせていただいてありがとうございます!!働かせていただいてありがとうございます!!」働くことは美しい。働くことは素晴らしい。ああ、素晴らしきかな労働よ。ああ、勤労よ今日も在ってくれてありがとう。
しかし、もしかすると私はここまでとてつもない思い違いをしていたのではないでしょうか。もしかしたら労働の方は私達に働いてもらおうと思っているわけではないのかもしれません。そうなると、今まで私達がやっていたことは感謝の押し売り、しかも祝日まで作った押し売り強盗のようなもの。まさか労働が「働かせてやってるんだから感謝しろ」などというわけがありません。いきなり身に覚えのない感謝をされたところで労働の方も気持ちのよいはずがありません。お互いと苦にならないことなのですから、労働に感謝するのはやめましょう。では代わりに何にこの感謝の気持を向ければいいのでしょうか。ああ、働かせていただいてありがとうございます。働かせていただいてありがとうございます。社長様雇ってくださってありがとうございます。社会の皆様需要を持ってくれてありがとうございます。本日も就労させて頂きます。休日なと返上いたします。ですから感謝いたします。感謝いたします。
と、いう夢を見た。悪夢だ……。
あ、次は最近労働続きのディモルさんでお願いします。なんか次は誰かと漫才するみたいですよ。私は誘われなかったんですけど、ね。
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