メアリー・スーが話題らしいですね。私は最近メアリと聞くと、あの忍者許さねぇなんですがそれはおいておいて。
私は基本面白ければオッケーな人なので、メアリー・スーはあまり気にもとめない人なのです。ただ二次創作でオリジナルサブキャラ増やしすぎると把握できなくなるのでちょっと勘弁とは思いますが。サブキャラがいると彩り鮮やかで嫌いではないですけども。
というか、僕の考えたさいきょーのキャラとかを思い入れのある作品にいれて妄想したことない人なんているんですかね?自分を美化してあのキャラとラブラブしたり、原作の気に入らないキャラを自己論法で論破したり、真正面から力でねじ伏せたりといろいろありますけども、そういう空想をしたことがないとはっきり言えるのでしょうか。
いや、私はあるのでそういうことに何かツッコミを入れる気はないんですけどね。
別に悪く無いでしょう?そのメアリー・スーが何をしたって原作に出ているわけではないのですから。まぁ、それでそのキャラを出した作者さんが叩かれるのは仕方ないんですけど。万人に受けるキャラとか作れませんし。
ちょっと話を変えて、キャラではなく設定をちょっと改変する作者さんも居ますよね。魔法などの不思議な力の。
作品においては設定の煮詰まっていないところを使い、独自解釈をするという感じですね。そういうのも面白いと思うんです。その作者さんはそういうふうに解釈したんですから。それに納得がいくか行かないかは読者の貴方側次第ですけどね。
絵を描くときもそうですが、作品においてリアリティは必要ですがリアルはいらないのです。あくまで『それっぽい感じ』で読者や閲覧者を納得させられれば良いのです。
私達のいる現実のリアルを作品の中に持ち込めば、そりゃ破綻するに決まってるんですから。中性的な顔立ちの高身長の金と赤のオッドアイのイケメンとか、ピンクの頭髪が地毛の腰まであるポニテの女の子とかな!いるわきゃねーだろ!
例えばSFやファンタジーに物理法則を組み込むのはリアリティが出ます、しかしその作品内に出ていない現実の物理法則を使ってこれはおかしいと指摘するのはどうでしょうか?それだけその作品をまじめに読み、考えているということなのでしょう。でもその矛盾は見つけてしまってよいものなのでしょうか?その行為は重箱の隅をつついているのではないでしょうか。
と言うか初期プロフィールとか設定に矛盾のでない長期連載の作品ってそんなに無いよね?
さて、作品を発表する時の個人的な考え方なのですが、作品を作って出すにあたって「自分が面白いと思ってやってる人」と「人を楽しませたくてやってる人」この2つは違います。
極論で言いますと前者は自己満足の為にやっている人で、後者は人に見せるためにやっている人です。
前者は自分が良ければそれでいいという感じで、人の意見など聞かずに唯我独尊、自分が面白いようにやるタイプ。
後者は試行錯誤し、人の意見を取り入れながら面白いものを作っていくタイプ。
長所短所ありますが、基本後者のほうが見ている人の受けはいいと思います。ただ、読者に振り回されるのも後者だと思いますけど。
読者の意見というと、私はどちらかと言えば作る側の思考してるのかもしれませんが、見てるだけのくせに口だけ出すとは何事だ!と思うこともしばしばあります。いえ、建設的な意見とか、具体的にここが良くないとかそういうのはありがたく受け取りますが。
ただ単に「つまんない」とか「ありきたり」だとか「これあれのパクリじゃね?」とか言われたら腹もたちますよ。
たとえば、書き上げたレポートを「これ、あのレポートそっくりだね。もしかして写した?」とか言われたり、プラモデルを組み上げて細かく塗装したにもかかわらず「は?色塗っただけ?俺にだってできるわ」とか言われたりするような感じですかね。
読者というか閲覧者の意見って思いの外デカイですからね、作者の背中を押すこともあれば、足を掴んで引き倒したりできますから。と言うかぶっちゃけただ批判してるだけの人って厨二病とかを馬鹿にして「斜に構えてる俺カッコイイ」っていう感じの高二病の人なんじゃ…
さて割と長くなってしまいましたが、ざっとまとめると『閲覧者様の意見怖い』だった気がします。
あれ?メアリー・スーどこ行った。
まぁ、そんな感じでたまには長い文章もいいでしょう。それっぽく書いとくだけで知的にも見ますし。おっぱい県民というだけではないとこ見せとかないと、アホの子とかエロの人として認識されかねませんからね。
さて、では次の人は【うふふさん】でお願いします。
今日の絵は何描こうか悩んだ結果、着地点を見失った感じの絵です。
多分、下乳が描きたかったのかもしれない。
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