理解したか? これがモノを作るということだ。
もとい、前々から思っていたモノを作るということに関するナニカについて、考えを述べたい気分なので、少々語らせていただきます。
俺はあまり自分を人と比べることをしません。人から評価を受けることもありますが、その良し悪しでモノを作る姿勢を変えることはありません。
というのも、俺がモノを作る理由というのが、ただ単純に「作りたいから」という原始的なものであって、そこに人の意志が介在する余地がないからです。
だから、下手だと言われようが、SSも音楽も絵も作り続けているわけです。
ところで、この考え方は俺特有のものではなく、モノを作りたい人共通の感覚だと、俺は考えています。
人によって姿勢は様々でしょう。より良い(とされるモノ)を目指し人の意見を積極的に取り入れる人もいれば、ただ自分らしさを追及する人もいます。
その結果として、人から評価されたり、一つの話題として取沙汰されたりすることもあるかもしれません。けれど彼らは、それがなくても作り続けるだろうと、俺は考えています。
さて、世の中には評価を気にしてモノを作る人がいます。俺はこういう人たちを「モノを作りたい人」とは認識していません。
少々辛辣な物言いになってしまいますが、こういう人たちはモノを作りたいのではなく、「人から評価されたい」だけです。だから、別にモノ作りでなくてもいいわけです。
モノを作るという観点から考えると、これは意識のピントがずれた状態だと思います。何故なら、モノを作るための主軸が自分ではなく他者に依存しており、人の意見によって自分の意見を変えてしまうからです。
モノ作りは特に、他者からの評価というものが付いて回ります。元は自分からモノを作りたいと思っていたはずなのに、いつの間にか評価に溺れてしまうこともあるかもしれません。
人から評価されるのは確かに嬉しいことだし、酷評されるのは辛いことだというのは分かります。
しかし、モノを作るならばそれらに振り回されないで、自分という主軸を見失わないで欲しいと切に思います。
とは言ったものの、これらは内側の意識の問題で、外からは見えません。外に現れるのは結果のみです。
読者、視聴者、閲覧者に見えるのは結果のみで、求めているのも恐らくは結果のみでしょう。そう考えたら、「モノを作りたい」か「人から評価されたい」かは些細な問題かもしれません。
結局は作り手がどっちの方が平和にモノ作りが出来るかということなんでしょうね。
とりあえずはっきりと言えることは、俺は「モノを作りたい」で作ってる方が平和で楽だということです。そして、「人から評価されたい」で作るのが毛虫のように嫌だということです。
こうして自分の意見を言うのも、人のことはどうでもよくて、自分が内側に抱えているのがめんどくさいので、形にして楽になってるだけなんですよね。
自力本願・自分本位、それが俺。筋は通せているでしょうかね。
久々に長い日記ー。……日記かこれ?
Leave a Comment