次の日記はディモルさんにお願いしようと思います。関係ありませんが、卯月は、旧暦だと空木の花が咲く頃だそうです。それだから、卯の花の月で卯月と言うそうです。
なので、四月とは大抵馬が合うのです。中身が空っぽなのです。いくら取り繕ったところで、薄皮一枚剥げばほとんどの場合は、空っぽなのです。中の人などいない等とよく言いますが、中の人がいない人は薄っぺらいのです。ペラペラなのです。日陰でひっそりするべきなのです。でも、それでいいのです。私が薄ければその分他の人が容量をとれるのです。私のようなものよりも、もっと容量を取るべき人が私が薄い分、得をしてくれるのです。なんと素晴らしいことでしょうか。
なのに、最近は日陰が減っています。なんにでも日が当たるのです。原材料などというものに日を当てたせいで、知りたくもなかった添加物が事細かに解るようになりました。ヲタクなんてものに日を当てたせいでヲタクのなかでも真性の方々がブームに乗ったオタク達から風評被害を受けています。O沢一郎さんの土地購入代なんかに日を当てたせいで皆様大層混乱したのです。全て、日陰でお願いします。日陰の何が悪いのでしょう。性善説日本はどこに行ったのでしょう。もう、隣に座る人間にいつ刺されるかとビクビク怯える生活を強いられるしか無いのです。日陰にさえいられれば・・・。そう思い、日陰に入ろうとしました。しかし、見当たらないのです。何処にもかしこにも何かしらの光が当たっているのです。世間の好奇の光が当たっているのです。やっと影を見つけたと思ったら裏の闇で、とても入れません。影がないのです。影が何処にもないのです。
影を探しても見つからないので、ふと自分を省みると自分の中身が空っぽでした。しかも空っぽな上に、中身なので影になっています。これ幸いと中に入ろうと思いましたが入れません。そんな事をしていると鬱になりそうになりました。私のようなものが鬱になってはいけないのです。悩みぬいてのわだかまりが鬱になるのに薄っぺらの私が鬱になっては困るのです。なので、開き直って日の当たる生活をすることにしてみました。日出国の人間なのです。日に当たる権利を日照権として国からもらっているのです。未来への夢をいだいてみました。口口壱番屋のトッピングを全部乗せする夢です。希望だって持ってみます。スクラッチくじなんてものを買ってみます。そして、希望に満ちてコインで削るのです。外れでした。やはり、私には無理です。トッピング全部乗せなんてどだい無理な話です。日照権なんてもらってもまぶしすぎて障子で遮ってしまいます。日出国より日没国の天子へ書状を送るのです。
そんな事をしているうちに、卯月がやって来ました。空木の花の月なのだからと中に入れてもらおうとしました。新暦だったので、夢や希望が詰まっていました。もう何も信じない。
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