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本能寺

本能寺ほど恐ろしいものはこの世にはない。本能寺を焼かねばならぬ、本能寺を焼かねばならぬ。謀反にて焼かねばならぬ。彼の人の恐ろしさには堪えられるものでない。比叡山のように焼かれねばならぬ。私自身の人生を生きられないと決意し、私利私欲も相まって本能寺に火を放った。

と言う訳でだいぶ前の今日あたりに織田信長さんが焼け死んだそうです。今日は裏切りの日です。裏切りは許さないくせに裏切るあの裏切りです。思えば皆様。なんとも、さんざんと裏切られておられることでしょうか。信長公は、すげなくした家臣に裏切られました。某政党に投票した方も、信じたマニュフェストなぞに裏切られました。恐怖の大王を信じた人々は2000年に涙したのです。信じたものが報われることなどまずありません。裏切られるのです。裏切られるのです。

期待するから裏切られるのです。ならば、最初から期待しなければいいのです。叶わぬことを前提に夢を見ればいいのです。叶いませぬ。適いませぬ。叶ったとすれば儲けものなのです。信長公とてすげなくせねば謀反に成らずとも良かったかもしれないのです。マニュフェストとて、信じず慈善の清き一票ならば気に病むことなど無いのです。大王など信じず、堅実に生きればスッカラピンなどなりはしなかったのです。適いませぬ、叶いませぬ。・・・

叶わぬ願いをなおも託せとおっしゃるならば、ロベルトさんに託しましょう。託しましょう。裏切り召されるな、裏切り召されるな。

三行半日記大系

先日、私のこの日記を読んだとある知人から「文字が詰まっていて読みにくいし、最初の三行程しか読む気がしない」という旨の苦言を頂戴致しました。

たしかに字が詰まって、読みにくい文章になっていると自分で読み返していても思うほどですから、他人からして見るなら相当以上のものでしょう。

けれども、仕方がないのです。私には文才もなければ、晒すに値する様な日常すらないのです。なので、詰まった文章でおためごかすしか能が無いのです。

というわけで、次の日記は知人のディモルさんにお願いしようと思います。

 

きっちり三行半。(蛇足)

六の日の菖蒲

六の日の菖蒲は、端午の節句にと設えられたものだった。が、時勢に遅れ、五の日はとうに過ぎていたから、すでに用も無いと言われ、売り様のなくなっていた。菖蒲は十日の菊と一緒に、機会損失という、戒めのために語り継がれていた。六日の菖蒲と云ふのは、時機を逃して役に立たないものであった。   十日の菊は仏法僧等に入用なので、貰われ手はあった。しかし六日の菖蒲は、花の咲く菖蒲とは別のものだったので貰い手はいなかった。ただ、使い道もないと花屋から打ち捨てられるのを待つばかりであった。菖蒲も刈り取られて幾分経つので、その葉はしおれかけてゐた。それは世の常であったが、あわれを誘うものだった。が、草の菖蒲は、格別不満も感じることはなかった。

と、いうところまでは思いついたのです。思いついたのです。ですが、この後どうすれば良いのかがわからないのです。菖蒲の根ならば漢方の薬になるのです。しかし、六日の菖蒲はどうあがいても菖蒲湯にはできないのです。一年も持たせることはできないのです。待たせることはできないのです。この話の元になった芥川氏の「六の宮の姫君」も待てなかったのです。5年で帰ると言った男を9年も待てなかったのです。なので男は姫との最後の逢瀬が死の間際となったのです。それもまた、機会損失なのです。

世にはかくにも機会損失が多いのです。六日の菖蒲しかり、五日から回された端午の節句に触れられなかったこの日記然り、ならばと喜び勇んで書いたこの日記もしばらくすればネタが風化してしまうのです。売り手(書き手)も買い手(読み手)もいるのに、時節が変わってしまえばネタが時期外れのものになってしまうのです。なんと恐ろしきかな時節ネタよ。

ですが、損して得取れと申しますように、損にも好機は巡ってくるのです。ギリギリとはいえ、死に目には会えたのです。持っている株が下落しても、売らずに持っていれば、そのうち高くなるのです。古いパンを買っていれば、見かねたミス・マーサがバターを塗ってくれるのです。言わば、未来への投資なのです。そしてその投資は帰ってくるのです。不利益とともに。バターを塗られたお陰で、市役所の設計図は切り刻んで、味の足りないサンドウィッチにするしかなくなったのです。株を持ち続けたお陰で、売りたくても売れない状況に陥るのです。死に目にあったからこそ念仏を唱えられずに、極楽も地獄も知れなかったのです。損をして特をすることなどまず無いのです。損ではなくて捨てたと思いなされ。損ではなく破棄なのです。損ではないのです。破棄なのです。このネタも損ではなく、おためごかしの破棄なのです・・・

 

捨てる神あれば拾う神あり。捨てられたこの日記を拾って下さったのはロベルトさんだったそうです。