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ローカルツイッター

Java製のツイッターアプリを開発してます。どういうソフトかと言うと、ローカルでツイッターの発言監視、ツイート、返信が出来るというものです。それだけです。
ぶっちゃけ「ツイッター開いとけばいいじゃん」というレベルのものなのですが、ブラウザでツイッターを開くと、色々あって重くなるじゃないですか。おまけにブラウザ画面を丸々一つとってしまうわけだし。
そこで、とりあえずの状態監視的なものとして、ローカルアプリを開発したわけです。
まあ、その実態は最近凝ってるツイッター連携アプリのJava実装方法の勉強だったりするわけですが。

これまで、JavaにしろPerlにしろ、俺は処理のほぼ全てを自力で実装してきました。これは、環境に左右されない代わりに、非常に開発効率が悪いです。
実際、会社で開発をするときは、無料配布のライブラリなどを使っていました。そも、オブジェクト指向はコードの再利用が可能というのが最大の利点なわけですし。
ツイッターの、特に認証周りの処理は、面倒なことが非常に多いです。それこそ、自力でコードを組むのがバカバカしくなる程度に。
必然的にライブラリの利用が必要になってきます。そして、それこそが俺の目的でした。
会社で開発していた時代は、外部ライブラリの導入が既になされていることがほとんどでした。何故なら、外部ライブラリを導入することは、製品に対して大きな影響を与えるため、申請などが必要であり、大体はマネージャーが導入済みでした。
一応個人的なプログラミングでライブラリの導入方法などは知っていましたが、知っているのと導入・実装したことがあるのでは、また話が違ってきます。
今後在宅で個人でやっていくとなると、そういったことも自力で出来る必要があります。そのために、外部ライブラリの導入が必要なアプリを組みたかったわけです。

ローカルツイッター自体は、それなりに使い勝手がよくなったら配布します。まあ、今の状況では使い方に一癖も二癖もあるので、正直辛いものがありますが。
一応目的は達成されたので、今後作り続けるかは疑問ですが……。

とあるゲゲゲ執筆開始。この日記書いてる時点で10KBです。
今回は30KBまで行くとして、今日中に15KBまでは進めたいところですね。

美味しいストレスの解消法

何が美味しいのかはよく分かりませんが。

昨日兄者の家にお呼ばれして遊びに行きました。兄者も兄嫁も元気そうで何よりでした。
さて、それと全く関係なくもないのですが、昨日から今日にかけてやや精神が不安定気味でした。
サイトの自己紹介のところにも何気なく書いているのですが、実は俺は人間嫌いです。人と接するよりも一人でいることを好むタイプです。
人と接することは、単純に疲れます。気を使うせいで精神を摩耗します。
「その程度のことで何言ってんだ」と思われるかもしれませんが、俺はまだマシな方だと思います。本当にダメな人は、家族に顔を見せることすら困難になりますから。
マシな方とは言いましたが、俺も結構なもので、仕事という前提条件があった状態で人と会うと、鬱カウンターが上昇するという嫌な特性があります。
兄者と会うのも結構疲れるもので、兄者と俺はまるでタイプが逆というか、俺が持っているものを兄者が持っていなくて、兄者が持っているものを俺が持っていません。
たとえ家族とは言え、ほとんど交わるところがない者同士の会話が気疲れしないわけがなく、家に帰りつく頃にはだいぶやばい状況になっていました。
それが元で、昨日某所のお絵かきチャットで、不適切な態度を取るユーザーに対してブチッと行ってしまい、大変見苦しいところを衆目に晒してしまいました。
以前よりは精神が頑強になったと思っていましたが、まだまだ鍛錬が足りません。

ここまでが前置き。ここからが本題です。
前述の通り、今日までストレスを引きずっていた俺ですが、とある解消法によって綺麗さっぱりストレスがなくなりました。
その解消法とは……。

寝る。これ最強。

皆さんもイライラしたら、何かに当たる前に寝てみるのがいいかもしれません。

モノを作るということ

理解したか? これがモノを作るということだ。
もとい、前々から思っていたモノを作るということに関するナニカについて、考えを述べたい気分なので、少々語らせていただきます。

俺はあまり自分を人と比べることをしません。人から評価を受けることもありますが、その良し悪しでモノを作る姿勢を変えることはありません。
というのも、俺がモノを作る理由というのが、ただ単純に「作りたいから」という原始的なものであって、そこに人の意志が介在する余地がないからです。
だから、下手だと言われようが、SSも音楽も絵も作り続けているわけです。
ところで、この考え方は俺特有のものではなく、モノを作りたい人共通の感覚だと、俺は考えています。
人によって姿勢は様々でしょう。より良い(とされるモノ)を目指し人の意見を積極的に取り入れる人もいれば、ただ自分らしさを追及する人もいます。
その結果として、人から評価されたり、一つの話題として取沙汰されたりすることもあるかもしれません。けれど彼らは、それがなくても作り続けるだろうと、俺は考えています。

さて、世の中には評価を気にしてモノを作る人がいます。俺はこういう人たちを「モノを作りたい人」とは認識していません。
少々辛辣な物言いになってしまいますが、こういう人たちはモノを作りたいのではなく、「人から評価されたい」だけです。だから、別にモノ作りでなくてもいいわけです。
モノを作るという観点から考えると、これは意識のピントがずれた状態だと思います。何故なら、モノを作るための主軸が自分ではなく他者に依存しており、人の意見によって自分の意見を変えてしまうからです。
モノ作りは特に、他者からの評価というものが付いて回ります。元は自分からモノを作りたいと思っていたはずなのに、いつの間にか評価に溺れてしまうこともあるかもしれません。
人から評価されるのは確かに嬉しいことだし、酷評されるのは辛いことだというのは分かります。
しかし、モノを作るならばそれらに振り回されないで、自分という主軸を見失わないで欲しいと切に思います。

とは言ったものの、これらは内側の意識の問題で、外からは見えません。外に現れるのは結果のみです。
読者、視聴者、閲覧者に見えるのは結果のみで、求めているのも恐らくは結果のみでしょう。そう考えたら、「モノを作りたい」か「人から評価されたい」かは些細な問題かもしれません。
結局は作り手がどっちの方が平和にモノ作りが出来るかということなんでしょうね。
とりあえずはっきりと言えることは、俺は「モノを作りたい」で作ってる方が平和で楽だということです。そして、「人から評価されたい」で作るのが毛虫のように嫌だということです。
こうして自分の意見を言うのも、人のことはどうでもよくて、自分が内側に抱えているのがめんどくさいので、形にして楽になってるだけなんですよね。
自力本願・自分本位、それが俺。筋は通せているでしょうかね。

久々に長い日記ー。……日記かこれ?