春を売る少女(意味深)
別にエロい意味ではありません。ドーモ、ドクシャ=サン。ウフフノヒト、デス。
春とは頼まれもしないのに向こうから勝手にやってくるものですが、ここで考えてみると押し売りというものをいかに良く捌くかというところに人間の可能性というものを感じる今日このごろですがいかがお過ごしでしょうか。
春というのは良し悪しにかかわらず何かと始まるものですが、一見さんでないものと言うものも中には始まるもので。最近はどうかわかりませんが、一昔前には夏でもないのに雨後の筍のようにニョキニョキとよくもまぁ虫のごとき湧き様でしたね。何がとは申しませんが。
そう言えば最近散歩を再開したのですが、道端に咲いている草花などを見ると春って感じですね。桜を見てもそうは感じないのに現金なもので、手に届くとわかると愛おしく感じるひねくれ者でございます。
草花ということでひねくれついでに山菜の話をしようと思いますが、冬虫夏草という草が有りましてこの草は[中略]そういうわけで、李徴は山奥へと消えていくわけですが、逆切れで女房に火を付けるような男が獣へと変わるというのは道教というよりはむしろ仏教的な価値観に通じるものがあるとも言えるでしょう。
再開ついでに、MIDI作ってみたんですがなんかすごい出来になったので貼りたくないです。(貼らないとは言っていない)
え?タイトル?UMA的なアレです。
次はUMA的にディモルさんに回そうと思います。
(こいついつもディモルさんに回してんな)
暇だったらロべさんでもいいです。(震え声)
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