昨日、母者推薦図書である「ストーリー・セラー」を読みました。
この本は複数の著者による短編集になっており、それぞれ独立した物語が書かれています。
俺の場合、長編ならそのまま読み進めることが出来るのでさほど苦にはならないのですが、短編集は一回一回意識の切り替えをしなければならず、どうにも進みが遅かったです。
図書館で借りた本だったんですが、結局三つまでしか読むことができませんでした。
三つ目が本のタイトルにもなっている「ストーリー・セラー」なんですが、昨日はそれを読んだというわけです。
正直なところ、あまり俺の好きなタイプの話ではありませんでした。終わり方がどうしようもないほどバッドエンドでしたから。
ただ、一点共感できる部分がありました。それが、「書き手に対して攻撃的な読者」に対する見解でした。
この話のヒロインは大学時代に文芸部に入っていたのですが、部員達の酷評によってトラウマを作ってしまいました。
実際のところ、それは本当に酷い作品だったわけではなく、文芸部としての自尊心、あるいは対抗心や嫉妬心から、優れた作品を蹴落とそうとしたという構図でした。
この話を聞いた主人公の口から出た言葉に、なるほどと思わされました。要約すると以下のような感じです。
「『読む』側の人間は、いちいちつまらない作品について言及したりはしない。『読む』人間はいつだって次の作品に飢えているんだから、そんなものにかかずらっている時間はない」
俺がWEB小説の一部の読者、つまり「書き手に対して攻撃的な読者」に感じていた理不尽を、俺よりも正確な言葉で表してくれていました。
俺はかつて、この手の読者の見苦しさに耐えかねて大爆発をしてしまったことがあります。その傷跡は、今も「ロベルト東雲」で検索すれば見ることが出来ます。
この作品は、爆発という手段しか取れなかった俺に、表現による告発という方法を示してくれました。
好きな話とは決して言えませんが、共感という形で心に残る作品でした。
今の俺はこう考えています。作品に対して批判的なだけの意見はあてにならない。作者に対して批判的なだけの意見はもっとあてにならない。
作品をより良くしてくれる意見は、いつだって作品を受け止めた意見です。初めから拒絶しかない意見に、どうして作品を良くすることが出来るでしょうか。
あんまし読書の感想っぽくないかも。まあ、俺も未熟とは言え書き手だし、シカタナイネ。
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