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三四老

 本日9月の第3月曜日は敬老の日です。と、こう書くとき私はなんとも言えない違和感に襲われます。そもそも10年ほど前までは9/15日を敬老の日としていたものですが、ハッピーマンデーなるものに押し切られいつの間にやら曜日に日付を取って代わられたのです。そういったことを覚えている世代なものですから、新しき敬老の日を知らせられると古き敬老の日を思い偲ばざるをえないのです。

 古きをたずね新しきを知るなどと申しますが、古きを訪ねるだけではダメなのです。尋ねねばならぬのです。尋ねなければ訪ねたところで無駄足鳥足勇み足、苦労のツケも食らおうというものです。古きに取って代わられた新しきのなんと多いことか。復刻版に取って代わられた某商品然り、兄の友人に美禰子を娶られた某主人公然り、共産国家になろうとしていたらなんだかんだで中身が民主国家のパチモンまがいになった某国家然り。いつの間にやら古きに台頭された、新しかったものたち。

 新しくなくなったものたちは見ていてどこかいたたまれなくなるものです。世に出た頃は斬新でも、真似をするものが多くなってくるとそのうち陳腐化していくものたち。もちろんその方向性は違うものですが、精神的にその場に居られなくなるような気持ちになるのは共通でございます。すなわち言わんとするならば、アベックのアハンウフンなやり取りも、中二の頃に発症するような精神的な衝動も、100箇所もの土地で同時に顔を真赤にして騒動を起こした某国も、いたたまれないものたちなのです。

 内の一つをあえて言葉にするならば「厨二」なるものでありますから、世のカップルたちも、大きな迷子も、某お隣様もも、言い換えるなら厨二といっても過言ではないのではないでしょうか。そう考えると、世の全てになにがしかいたたまれない気持ちになり、この世への未練もなくなったと思いましたが、胸に水をかけられそのような気も失せ、ただただほとほと困り果てるものであったのです。

 そんなことを書いて振り返ってみるといつの間にやら取って代わられた当初の話題。いつの間にやら古きネタが台頭してきた新しきネタに哀悼の意を捧げんとも思いましたが、世をいたたまれぬと思う私にいかほどの言葉をかけることができましょう。そんな訳で次は新しきに手を出したと風の便りに聞く燃えないごみさんによろしくお願いしようと思います。風の噂では、ペンタブレットなるもので描いた図画を公開してくださるそうですとも。

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