次回への要望をだしたディモルです。しかしやりたいテーマを先に言われたというかなんというか。あ、今回の褐色もよかったです。最後なのは残念ですが…満足した時間を送れました。
クソ長いから今ここで言っておく。次回は「クレイさん」ね。
先日、僕はクレイさんとしばしチャットで熱い討論をしあった『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』、このロボットアニメは、2004年10月9日から2005年10月1日にかけて放送されていたそうです。もうそんな昔になるんだ……。
未だ病的なアンチに叩かれているスレが多いこの作品、実際あまり褒められた出来ではなく、感情移入し辛いキャラの言動、戦闘が売りのロボットアニメで過去のバンクシーンの連発、突如でてくる新設定や設定改変(未だプラモの解説は変わり続けてるそうな)などなど。
他ガンダムシリーズに比べて政治シーンを中心にしたものの、どうも政治に詳しくない人が書いたような内容で、どこぞの考察サイトでは≪軍事と理念ばかりに目を奪われてしまっており、経済面で地球連邦が困窮しているという描写があるものの、富の議論はおざなりである。≫と書かれてありました。主役キャラ個人のパワーバランスも強すぎて簡単に第3勢力などが出てきたり、理想理念はよく語るが、具体的な方針は言わなかったりなどが目立ちます。
そんなSEEDシリーズですが、売上は過去最高。何故?たぶん……キャラ人気かと思われる。人によっては『カエル顔』と評されるほどあまり顔わけが出来ていないんだが、どのキャラも美形イケメン、女性もなんかエロイキャラが多い。実際SEEDシリーズの同人活動は今もなおぶっちぎりです。
さてはて、そんな作品の主人公として作られたのがこれまたよく話題に上がる『シン・アスカ』君。前回の討論でクレイさんは『思考放棄した狂信者のようで嫌い』とまで言われている。実際彼のシン嫌いは昔からであり、スパロボ参戦というニュースを持ち出しても「レイは使うがシンは使わん」と言い切ったほどである(僕的にレイのが狂信者みたいで当時は嫌いだったがな)。最近はゲームでもふつうに使うから克服したと思っていたが…。
とはいえ放送当時はそれはまあ彼の人気はボロクソである。彼は続編の主人公としては珍しく『前作主人公サイドの理想のせいで家族を失った過去を持つ』『そして自分から軍人に志願した(ガンダム主人公はほぼ確実に巻き込まれである、外伝はともかく、初登場から軍人なのはシンが初)』と珍しい素材を与えられて誕生した主人公なのだ。
だが実際はとにかくウザイ言動を続け、人気キャラを次々とバカにしたり殺したり(戦争で敵だから当たり前だが)する。人気がでるほうが珍しい人物だった。
なのだが終わってみればどうか、シンどころかこのアニメには真っ当なキャラは皆無、どいつもこいつも言ってることやってることが滅茶苦茶なのだ。
そして最終的にシンは『成長すれば大物になれたはずなのに成長する機会をもらえなかった』『主人公なのに出番が全然ないどころか、後半はただの敵兵Aにされ一方的に倒された』などの同情意見が多くなってきて今に至る。
実を言うと僕はクレイさんとは逆に、彼のことは『好きな男キャラは?』と聞かれるとだいたい最初ぐらいに思い浮かぶほど好きなキャラである。
この差はなんだ?個人の解釈の違いなのか? いやきっと違う。種運命は不思議なことに、他メディアではストーリー、キャラ面が好評を得ている作品である。ストーリーはほぼ一緒なのに。死んだ、生き残ったキャラが変わるとかそんなことはない。
じゃあこの評価の分かれ目はなんなのか?ズバリ1つ1つのシーンの描写の違いである。
アニメ版はどっかでは『言葉ではなく行動でキャラの心境を表そうとした』という監督さんの言葉を見た気がするんですが…、実際のキャラの言動は行き当たりばったりだったり、他人に意見を求める癖に自分の意見を言おうとしないヤツばかりなのではっきり言ってわかんないです(これまた某考察サイトでは『異常な描写不足に加えて「一見~だけど実は……」という演出フェイクもあるので、もはやニュータイプじゃないと感じ取れない領域だと思いますけど。』などと言われている。)
一方種運命の漫画版、小説版はきちんとキャラの心境を補足されています。そりゃ1部のシーンは見せ方というか、ほぼ別のシーンになってて『ストーリーは完全に一緒』というわけではありませんが、最終的な結論は同じです。最終決戦後のそれぞれのキャラの心理もアニメ版と変わってますがね。
んで、僕はその『アニメ以外の種運命』を調べて回るのがすごい好きだ。種考察のサイトやスレを探して閲覧するのも好きだ。描写不足の多い本編だが、ちょっと見せ方を変えるだけで良作にできる可能性を秘めた種運命。「あぁこういう受け取り方もあるんだ」と感心する場面が多く、見ていて飽きない。
種運命の評価は難しい。他作品を見てきたかどうかでガラリと変わるのだ。まあどの人も一致するのは『アニメ版は駄作』なのだ。アニメそのままのシンを好きになるのは少し難しいかもしれない。
とまあ本来なら今回の日記はここで終えるんだが…クレイさんの言葉がなんか引っかかりはした癖になにも言い返せなかった僕、そこで話題に上がった場面を自分がいろんな考察を参考にしてだべってみる。
「あのキャラはああいったシーンがあるから好きになれん」という部分はこのアニメに限っては「脚本が悪い」で返したくなるんだが…なんかそれこそ思考放棄な気もする。
後これは単なる趣味だから真に受けなくていいです。
といっても、何度も言うがアニメ版は描写不足も問題だが……『特定のキャラを正当化するために他キャラを悪く描いている』という噂が本当に思える部分が多い。特にそれがよくわかる例は初登場時はまともな意見が多かったが、再登場したら急に空気の読めないアホ発言ばかりするボンクラになったユウナ・ロマ・セイラン氏。本当に突然ヘラヘラしてるキャラになってるのだ。 そういった例があるせいか、この作品でのキャラ評価はついメタ視点で見てしまう…『キャラクターを1個人』として見なくなってしまう…。
・ミネルバクルーの教育問題
主人公チームが所属する戦艦及び部隊、ミネルバ隊。新人だがエリートの集まりである(ちなみにコーディネイターは実績主義者で家柄などは関係ないと考えてる)。んで、教育に関してはシンばかり目立つが、全体的になってない気がする(隕石落下中に「地球滅んでも自分たちは関係ない」発現をするヤツがいたり…まあこれはナチュラルとコーディネイターという人種問題があるが)。
漫画版でアスランは「友人たちとのちょっとスリルのあるサバイバル生活」と思われたが、まさにそんな軽い感覚で最前線で戦っている。彼らはあまり「敵=人を殺している」感覚がないのである。アスランはなんとかして人殺しの自覚を与えようとするがなにかと空回りし(命令違反したから怒られたと思われてる場面が多い)、そんなミネルバクルーを目覚めさせたのがアスラン脱走というのがなんとも皮肉である。
ちなみにこればかりではないが、主人公のシンが映らず、アスランばっかり映るため、ミネルバクルーの交流シーンはほとんど描かれてない。初代ガンダムでアムロ、ブライトたちがクルーみんなと成長していったのとは正反対で、艦長とアスラン、アスランと女性陣ばかりとにかく目立つ。おかげで艦長が主人公であるシンをどのように思っていたのかはまるでわからない。会話すらほとんどないし。
・「流石綺麗ごとはアスハのお家芸だな!」
3話ほど、いまいち危機が迫っている現実(上でいう隕石落下時だったかな)を感じずに緊張感がないミネルバクルーに激怒したカガリにブチ切れたシンが言ったセリフ。非常に怖い目つきで睨み付け、カガリが圧倒されてるシーンは印象的である。
さてこのシーン、上にも書いたようにシンは前作主人公組のアンチテーゼなキャラである。そして未だに口先の綺麗事ばかり述べる癖に結果を出せてないカガリ、アスランという前作主役サイドに苛立ちを持っていて、それが爆発した…っというシチュである。
そのため、どちらかというとこのセリフ、『正論』として扱われることが多く、言われたカガリは何も言い返せずに、その後自室でアスランの腕で泣いているという国のトップとしては何とも情けない場面を見せるのだが…。
なんだが問題発言は問題発言。別の国とはしてトップの人に堂々と言ってはいけない言葉だ。
とはいえ、さっきも言ったようにシンはアスハ家について3年前の悲劇から言いたかったことがあり、それが今回対面して、ついに抑えきれずに爆発したシーン。過去を考えれば無理もないかと思われる。単にバカにしたいから言ったわけではない。
ちなみに漫画版では「俺の家族はアスハ家に殺されたんだ!あんたたちのくだらない理想主義(きれいごと)のせいでな!」と言っており、クレイさんも「そこまでちゃんと言っていたのなら不満はなかった」と言っているので、つまりは描写不足か…。
カガリも侮辱発言とは受け取ってないし、その後自分たちの理念に犠牲はでることはわかってはいたが…というシチュになる、つまりはシンの心情を受け止めてるので…ひとまず問題はなかったんだろう。
カガリがもしそこらのRPGでよく見る欲深な王だったらまさにクレイさんの言うようになんらかの裁判にかけられたかもしれんが。まったく幸運な奴よ。
小説版では「自分の信じたオーブは間違ってなかった、否定してほしかった」という心境でシンはこのセリフをぶつけたらしい。アニメ本編でもあんだけオーブ嫌いを宣言しておきながら最後まで気にしており、良くも悪くも人を憎み切れない素直さがでてるかと思われる。
・「死なせたくないから返すんだ!」
ガンダムお約束の強化人間ヒロインをミネルバクルーが捕虜にしたが、シンが無断で脱走させたシーン。
こればかりはシンは軍人として擁護は不可能である。過去のガンダムシリーズでも無断行動を行い、罰を受けたキャラは多いが、シンは志願兵、最初から軍人なのだ。よりによってシンでこれをやらせるのはまずかったであろう。脱走させたという例ではZガンダムのカツが思い浮かぶか。彼も未だにウザイキャラといて語られてるな。
シンはステラを独断で脱走させる。当然帰ってきたら罰が待っているが、シンはこの時文句や言い訳がないことを考えると少なくとも覚悟はしていたのだろう。
だがここで最悪なパターンが展開する。プラント最高議長は遺伝子調査の結果、シンが優れた兵士であることを昔から知っている、つまりはお気に入りなのだ。このためなんと『無罪』として終わらせた。これがシンの増長へと繋がる。「あなた(アスラン)のいう正しさだけが全てじゃないってことですよ」。たぶんここでシンを見限った視聴者はかなり多いであろう。実際僕もこの展開は他メディアで見てもイラッとくる。
ちなみにこのシーン、レイが協力しているのが印象的である。軍規に対しては真面目なレイがなぜシンのこの行動に自ら協力したかは小説版らへんで捕捉されており、『シンを信用させ、使いやすくすること』だそうだ。だがここで終わってはレイはただのイヤなキャラで終わる。理由はもう一つあり『ステラに同情した』というもの。戦争で家族を亡くしたシンと、身内の少ないレイの友情は本物であったことも描かれているらしい。
レイは不完全なクローンである。それ故、強化人間で寿命が短く、おまけに味方に人体実験されそうになったステラをシンと同じく見捨てることができなかったのだろう。
一方漫画版だがルナは止めようとしている。そもそも事件開始のきっかけを作り、おまけに仲間を殺した敵兵を助けることには同調できないっというシーンは本編でもやるべきだった。
そういや捕虜を無断で返す展開は前作のSEEDもあったな。あれも無罪で終わったが…。物語開始の展開と言いなんで同じ展開を何度もやってるんだ?
・「あんたが悪いんだ!あんたが裏切るから!」
議長のやり方に疑問を持ち、ついに脱走したアスラン。それを追撃するのがシンとレイ。ちなみに華やかな主人公後半機の初登場シーンである。かつての仲間、おまけに前作主人公の一人を倒すのが新主人公後半の登場なのだ。悪意しか感じない…。
このシーン、深く考えるとシンのこれからの運命を大きく分ける分岐点なのだ。アスランを信じるかレイの言うとおり議長を信じるか。あのままアスランについていく選択もできたのである。
だがアスランとレイの言葉に挟まれ、結果感情的に「裏切り者だから」と叫んでシンはアスランをコックピットめがけて大剣をぶっさす(ちなみにバンクシーン)。
シンの『思考放棄』はおそらくここから始まっており、後は流されるように戦っている。つーか全然映ってないからそうしか感じられない。
一応アスランの意見にも揺れ動いており、当時の心境としては(どっちを信じればいいのかわからない)といったところであろう。ここで自分の意志ではなく、他人の意志に任せるようになってしまったのが批判の的かと思われる。
よくメイリンも乗ってたという意見があるが、彼女はアスランを逃がす為にハッキングをしている立派な裏切り者なので……。
で、なんでその後メイリンの姉であるルナと恋人同士になるのかはさっぱりわからんが……漫画版のように前々から絡みがあったのならともかく…。
ちなみに漫画の1つでは、シンは「力に魅入られ、翻弄された哀れな兵士」として扱われており、この場面以降、シンは戦闘マシーンと化していく自分に絶望してきており、ルナがいなかったら精神崩壊すらしたのでは?と見ていて心配になる。
(ああ…シン…泣いてるように喚いて…聞いてるこっちの方が辛いぞ…?お前は…そんな風に戦っちゃいけない)というのは撃墜されたアスランの心境。本当に描写の違いでこうもキャラの印象が変わるんですこの作品。
・「人はみな自分の運命を知りたいはずだ」
敵陣営をようやくやっつけられた物語ラスト付近、デュランダル議長が(何の伏線もなく突如勝手に)持ち出した『デスティニープラン』。賛否両論とかそれ以上に作中でほとんど説明されておらず、『こんな計画考えてます』という感じで発表したら前作主人公サイドに討伐された…で片付くように本当にラスト付近で突然。
「急に議長が世界征服宣言するアホになった」という意見もちらほら見られるように、これもメタ的視点で見てしまう…。
さて内容としては…何度もいうが圧倒的説明不足であり、どのような物か、どうやってやるかなどは具体的にわかってない。メディア毎に違いがあるという困ったプラン。
大雑把に言えば『全人類の遺伝子特性を解析し、各人に最適な役職を振り分ける』。要は遺伝子レベルで人を調べ、「君この仕事向いてるからこっち方面で努力して」というまあハローワーク。その都合上、自分で動こうとはしないネラーの人たちには好評である…が、テイルズデスティニー2のエルレインの改変世界すら好評な人が多い場所なのでなんとも……。
で、この計画で1番疑問なのは『強制か否か』。強制だったら実現前に反逆しようとする人は間違いなくでるであろうが特に言われてない。かといって強制じゃないとしてもとんでも兵器を使って邪魔者を排除しようとしたりなんか不自然なのだ。 まさかシャアの人を声優に雇ったからそれっぽいことをしたかっただけではあるまい…。
どこかのサイトから引用したいと思うが、何度も言うがこの設定はメディアによってまちまち。信頼性は薄い。
『「個人から選択する権利を国家が取り上げ、遺伝子的に優れた者達(=コーディネイター)によって国家を管理する」という、一種の選民思想・管理社会にも似たシステムであるように演出されているが、実際は全ての人に強制しようとしたわけではなく職業選択の権利は個人にある(適性検査までを強制しようとした)。遺伝子的に才能がなくても努力で補えることは公式外伝等で多く描写されており演出と実態が合わなくなっている。』
『「遺伝子で全てを決める」という概要から一見コーディネイターが重要ポストを占めるように考えられがちだが、「特定の才能を発現しやすく調整する=訓練すれば特定分野が確実に伸びると生まれる前から決まっている」というコーディネイターの設定が示すとおり、全人類の適正が正確に判明してしまうとナチュラルに対する優位性が殆ど消滅してしまう。「埋もれていた才能」はナチュラルの方が圧倒的に多いうえ、誰もが自分の有利な分野で活躍できるようになるからである。
コーディネイターはナチュラルより圧倒的に数が少なく出生率の問題も抱えているため「コーディネイターが地球圏を支配する」には圧倒的に不向き、というか完全に逆の計画なのである。』
また、別の場所では『全員をコーディネイターにする』という内容のように扱われている。『コーディネイターは好きに遺伝子をいじれる』というコーディ有利な意見もある。まあ調整通りになるとは限らないのもまたコーディネイターの設定だが。
どっちにせよ、人の運命は遺伝子だけで決まるものではない。出会いや育ち方によって人の運命は大きく変わるだろう。結論的に言うと、この計画は賛成か反対か以前に『不可能』と思える。
議長がこんなことを言い出したのは元をたどれば、遺伝子的な問題でタリアと子供を作れなかった自分たち、失敗作として生まれ全てを呪った友人クルーゼを見てきた影響であり「運命に絶望する人たちを作りたくなかった」のだと思われる。どっちにしろ急ぎ過ぎだが。
つーか監督自身が「議長をわかりやすい悪にするために作った設定」だの言ってるし。まあこの人の意見は毎回変わるからなんとも。
この設定だけでも1つの作品を作れるのにもったいないという意見もある。描写不足、バンクだらけな種運命、それもラストで使うにはあまりにも大きすぎるものであった。
肝心のシン君のこれに対する心境は…どっちかっていうと微妙なものかと思われる。
「レイの運命は…変わらないのか?議長は…定められた運命を受け入れることが幸せだっていったけど、レイは…」というセリフは漫画版のもの。それでも一旦世界から戦争をなくすべきだと決めるのがこちらのシンだが。
まだまだ語りたい部分は多いですが、討論になった場面はここら。この辺でやめておきましょう。
何度も言うけどこれは私見。単に僕がその時に何も言い返せない自分に歯がゆく思ったので考察しただけ。流してくれていい。というかここまで読んでくれた人がいるかはわからんが。
結論的に言って、シンも議長も運命計画もとにかく描写が不足しており、正当な評価を下すのは非常に難しい代物だと思われる。
50話も使ってるのによ?戦闘シーンもなければ物語自体がそもそも動かない話も多く、ダラダラと続け、総集編の連発。
実際シンが好きと宣言した僕でも、アニメ版はシンどころか好きなキャラはほぼいない。一言で『シンが好き』といってもそれは各メディアが合わさってできた『主人公としてのシン・アスカ』、『アニメ本編のシン』とはまったくの別人なのである。
だがちゃんと補完されたこの作品は本当に面白い。『素材は良かったが料理人がダメすぎた』とはこの作品の評価をする際に良く言われる言葉である。
お祭りゲーであるスパロボに参戦した場合も毎度面白い改変をしてくれている。「次はどんな展開にしてくれるんだ?」といつも期待させてくれる種運命のスパロボ。次回はどんな作品に生まれ変わるのか。
朝1時間をかけ、夜に2時間かけた今回の日記。見直す人にとって相当邪魔なくらい長くなりそうやな…。ではでは。
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